2008年03月26日
織田哲郎の作品
こんなに活躍できるなんて本当にすばらしいですね。
織田哲郎(おだ てつろう、1958年3月11日 - )は作曲家、音楽プロデューサー、シンガーソングライター。本名は濱田哲郎。東京都出身。13才の時に父親の仕事の都合で渡英、中学時代をイギリス・ロンドンで過ごし15才で帰国。帰国後は両親の出身地である高知県高知市で過ごす。高知学芸高等学校を経て東京都立大学附属高等学校卒業、明治学院大学除籍。JVCエンタテインメント所属。
1990年代のヒット曲の仕掛け人であり、長戸大幸とともにビーイングの創立に関与する。1990年代に同じくヒット曲を量産した小室哲哉と並ぶ音楽プロデューサーとして知られる。スピニッヂ・パワーの初代ボーカリストとして、ほとんどの作曲を手がける。ちなみに、3代目ボーカリストは後にBOØWYのボーカリストとなる氷室京介。ドラマーの木村マモルは後にBOØWYの初代ドラマーとなる。氷室京介はムリヤリ織田の後釜としてスピニッヂ・パワーに入れられたと言われるが、ボーカリストとして織田の存在は強く意識したと言う。
高知学芸高等学校在学時には進学校でありながら学校内でバンド「ポテトーズ」を結成し音楽活動を行う。後に東京への引越しにともないポテトーズを脱退するが、その際に補充メンバーとして加入したのがファイナルファンタジーシリーズで知られる植松伸夫である。
1979年、ディスコミュージック路線のバンドMSマシーンを結成し、シングルを3枚リリースした。その後、長戸秀介(長戸大幸の弟)と、ギタリスト北島健二(FENCE OF DEFENSE、PEARL)と共に、プロデュースユニット“WHY”結成。アルバム『WHY』リリース。翌年、バンドとして“織田哲郎 & 9th IMAGE”結成(メンバー:古村敏比古:Sax、北島健二:Gt、松井恒二(常松)(ex.BOØWY):B、小沼“メンタイコ”俊明(ex.バービーボーイズ):Dr、鈴木 JUN 1:Key.、難波弘之:Key.(ゲスト参加) )。アルバム『DAY and NIGHT』リリース。その後、ソロ活動、事務所設立を行う。
TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」を楽曲提供したことで注目され、続く「サマー・ドリーム」、B.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」、大黒摩季の「チョット」、ZARDの「負けないで」「揺れる想い」、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」、DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」など1993年頃にBeing系の数々のヒット曲を量産する。また、バンドTOUGH BANANAとしての活動や、ロカビリーバンドMAGICのプロデュースを行った。しかし、1998年のZARDの「息もできない」の作曲制作を最後にビーイングを脱退。
その後、前記の理由による、レーベル設立、バンド結成を始め、相川七瀬を中心に幅広いアーティストのプロデュースを行っている。
1993年オリコン作曲家ランキングにて史上初の1000万枚を突破して堂々の1位を獲得した。
また、ソロ・アーティストとして1983年アルバム『VOICES』でデビュー。1992年に大塚製薬ポカリスエットのCMソング、「いつまでも変わらぬ愛を」をヒットさせている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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